尖るおやじ。

だんだんと年を重ねていくにつれ自分の考えが固まってくる。

 

若い頃は何でもかんでも言われるがままにしてきたが、だんだんとおかしいじゃ無いか?というハッキリとした気持ちが多くなってきた。

これは仕事を進める上では大いに指針となる。

それと同時に若い頃に溜め込んでいた不満を容赦無く発言するようになった自分に気付く。(言い方は気をつけてるけど)

 

でも、若い頃は尖ってるくらいがいいよねーと言われるのは分かるが、歳を重ねていく中で尖っていってる気がするんだけど、、、大丈夫なのかな?と不安になるときがある。

 

まぁ、それでも良いか…

なんて、だって周りは変な人が多いんだもん。自分も変な人のうちの1人であっても良いじゃ無い。とにかく言いたいことを我慢するようなことは今後もやらない。でいいや。

 

好きに生きましょう。

ストレスを溜めずに生きましょう。

 

一言言っておくとまだ30前です。

爽やかすぎて自己嫌悪

なーんか自分が積極的に発言しようとする時に、むず痒さと、照れと、俺なんかが感が発動する。

そしてなんかイジられるのも面倒くせーなぁとか、結局は面倒くさがってるだけなんだろうけど、友達との熱い友情なんかより面倒くささが勝ってしまうことがよくある。

これで俺はだいぶ薄情だとレッテルを貼られたもんだ。実際そうなのかもしれんが…

 

でも俺だってたまーにやってみることはある。

まぁ上記は覚悟の上だ。

 

そうするとどうだろう。

 

自分が頭の中で考えてた不安や心へのダメージは全くなく、みんなが協力的に行動してくれたりする。

拍子抜けというか、当然良い方になんだけど。

そんな時にやっぱり友達て最高だなぁとか簡単に思ったりするわけで。

 

まぁ自分の無駄で杞憂な考えが逆に自己嫌悪になるんだが。

 

まぁいらんこと考えんで、動いてから考えたほうがよっぽど生産的だし男前だっていうことが今日の結論としたい。

褒めるタイミング

人は褒めらて伸びるタイプ、叱られて伸びるタイプとか言うけど、ありゃ嘘だと思う。

 

叱られ続けて伸びるなんてありえないと思っている。そして褒めら続けて慢心するやつもバカだと思う。

 

しかし、そのうえで人は褒めらたいのだ。

些細なことで良い。一日一つ誰かを褒めたいと思う。

 

それだけど人はやる気が漲るのです。

活力が湧き上がるのです。

 

さぁお互いに褒めあいましょう。

やってから言えぃ。

やったら勝てる
やらなかったら勝てない

ただそれだけ。

僕は特別で人より効率的に吸収出来るとか、いや、やったのに勝てないじゃ無いか、とか。ぜーんぶやってからいって欲しい。そりゃそんなときもあるかもしれないけど、99%は上の宣言通りだ。

才能の有無なんて無いと僕は思っている。

 

 

ツイッターで収まることを敢えてブログに載せてみたのは、我ながら響いたからだ。

戦略的に生きる

心の強い人と、そうで無い人の違いはなんだろう?

イジられて、鬱屈する人と、シメた!と思う人もいる。

 

この違いは、どこから来るのだろうか?

 

イジられキャラは世に必要だし、世界を優しく保つ重要な役割だ。こういうと、それでも脇役ぽい感が否めないがそうじゃ無い。

いじることで、自分の心を安定させるような心の狭い奴になっちゃいけない。

メンタリストのダイゴが言ってたが、

企業のトップなどはイジられキャラが多い。

ついでミドルクラスはイジりキャラ。

底辺に多いのはまたいじられキャラが多いというのだ。

だから、イジられる人は能力が無いとか潜在的に持っている能力とはまったく関係ない。ただし上記のようなヒエラルキー傾向があるのも事実。これはどこかれ来るのだろう?

 

やはりこの分かれ道は冒頭の問いに戻ることになる。

多分、

鬱屈としてしまう人は底辺にいき、シメたと思える人は高いポジションに行くのだと思う。

 

その違いは、性格によるところが多いのか

やはり自己肯定感が低い人は前者に当てはまっていくのだろう。

他に誇れるものが無かったり、このコミュニティしか無かったり「余裕」がないのだ。

だから、今こういうとことで悩んでる人に言いたい。外に出て1人で黙々と努力して自己肯定感を高めてください。

試験に合格した日、店員に服のセンスを褒められた日、彼女ができた日…

 

とんでもなくテンションが上がり自分はイケてるんだなぁと思ったことでしょう。

 

こういう日をいっぱい増やすことが大切です。

余裕を増やすことが大切なんです。

 

そうすればいじられキャラは強力な武器になります。普通の人じゃ、味わえないことも分かるようになる。言わば選ばれし者なのです。

いじられキャラブルジョアジーなのです。

諸刃の剣であり、ドンドン鬱屈して良いように使われていくのか?この状況を楽しむことが出来るのか?

 

それは結局余裕があるか無いかです。

 

だから僕は今日も本を読んでます。

 

 

パッとしない若い女の愚痴

うーん。

ラーメン屋の隣の席の一コマだ。

会社の上司部下という感じ。

スーツを着た、かなり年配の男とパッとしないがマジメそうで若い女。

女の方がひたすら愚痴を言うという構図。

そして男はウンウンと聞くだけ。

 

ためぐちだし、

もう、不倫状態にあるとしか思えない。

とにかくパッとしないマジメ女の口が悪い。

ババアだの、バカだの言いたい放題…

 

なんだろう。

 

この二人は、

無意味な会話であることを前提に、

自分が優位であるなどと決して思っていないという前提で話しているのだろうか?

 

本当に勝手な想像でしかないし

ファクトは分からない。

 

が、聞いていてなんだか虚しい。

お前が言う?!感がすごい。

 

 

いやはや、自分の心を保つためだけに

人の悪口を言ってる全ての人へ言いたい。

 

あなたは、凄く無いし

むしろ煙たがられている存在だと思います。

どうぞ頑張ってください。

スラスラと喋りたい

日々憧れが増すばかりだ。

スラスラと、論理的に分かりやすくユーモアを交えながら話せないだろうか?

何故だか、人の前にたつと萎縮してしまい、言いたいことが言えない。

いや、人の前にたつと言いたい事すら思いつかない。

いや、普段から考えてないのかもしれない。

 

などと、またこーいうグルグルネガティヴな考えに行き着くが、、半分は当たっているとしても、それが全てでは無いと思うことがある。

 

先輩に言われて印象に残っているのは、

お前は安定感がない。と言われたことがある。

良い時はたしかに良いと自信満々な日も確かにあるし、どうしてこんなにバカなのだろう?自己嫌悪に陥る日もある。

これは、まさに自分の思っているとおりに、他者も評価しているのではないか?と感じた。

 

であれば、この自信満々の状態を維持できれば良いことになり、潜在的な能力を自己否定することは無い。という一筋の光明に救われる。

 

では、どうすれば維持出来るのか?

答えは分からないが、共通項を洗い出すとかなりシンプルで、

自分で決めた事を日々コツコツできていることが自信に、繋がっている気がする。

それは成果に現れてなくても、そのプロセス自体が、続いている状態が心地よいのだ。

 

うむ、とにかく

これしか自分が気持ち良く入る方法が、思いつかないのでこれを、やり続けるしかないのだ。

と、わかっていながらもやるまで体が動かないんだよねー。

 

ちゃんとやろうよ。

自信がつけば、スラスラ喋れるようになる。